【セッション】Fuckin’ tempo!!!!!!!! -映画感想-

アマプラ!

こんにちは!

シアタールーム202管理人のLyryです!

今回は記憶を消してもう一度見たい映画ランキング上位に位置するであろう作品

「セッション」

久しぶりに見て、気づいたら呼吸する事を忘れていたので感想を書いていきます。

「セッション」あらすじ

名門音楽大学に入学したニーマン(マイルズ・テラー)はフレッチャー(J・K・シモンズ)のバンドにスカウトされる。
ここで成功すれば偉大な音楽家になるという野心は叶ったも同然。
だが、待ち受けていたのは、天才を生み出すことに取りつかれたフレッチャーの常人には理解できない〈完璧〉を求める狂気のレッスンだった。浴びせられる罵声、仕掛けられる罠…。ニーマンの精神はじりじりと追い詰められていく。
恋人、家族、人生さえも投げ打ち、フレッチャーが目指す極みへと這い上がろうともがくニーマン。しかし…。

session.gaga.ne.jp

セッション感想

この作品を初めて見たのは、僕が高校生の頃、まだ夕陽が沈まないであろう時間帯に部屋のカーテンを閉め切って薄暗い中見ていたことを今だに覚えています。

意図的にそうした訳ではなく、「気づいたら」そう言った状況になっていただけです。

それぐらい周りの状況が分からなくなるほど、ラストシーンを何度も繰り返すほど夢中になっていた。ただそれだけです。

本作は所謂、鬼コーチとそれに喰らいつく天才の物語と言ってしまえばそれだけなのですが、

その領域を、ジャンルそのものをぶち壊してくれた作品かなと個人的には思っていて

重要人物二人の師弟の関係は本来であれば協力的にというか少なくてもリスペクトが土台にあるはずなのですが、本作に至っては全くと言っていいほどそれがない。し、それどころか、ラストシーンでも主人公である、アンドリューは指揮者、師であるフレッチャーに演奏中に(ファッキュー)と口パクで言ってしまうほどにずっと歪みあっています。

(C)2013 WHIPLASH, LLC. All Rights Reserved.

なんか、何回も作品をリピートしていると二人ともマジで可愛く見えてくるので、お時間ある方は是非という感じです。腐の扉が開く。というか腐女子という界隈があるのもなんか納得します。僕は普通に男で女の子が好きなのですが。。。

まぁそんな話はどうでも良くて、他にも見どころとしては演出の良さというか、師であるフレッチャーの行き過ぎた狂気とも言える完璧主義がアンドリューの中に入り込み人格、人生すらも変えるところです。

アンドリューは最初こそ優しく親しみが持てる性格なのですが、フレッチャーと出会い彼にしごかれるたびに元々の目標である「偉大になる」ということが「フレッチャーのクソ野郎に認められ、偉大になる」というものに変わっていったように見えました。

その象徴的とも言えるシーンがフレッチャーが用意したアンドリューへの起爆剤ライアン・コノリーが現れ、焦りを覚えたアンドリューの行動ですね、マメが潰れるほどドラムを叩き練習、血で真っ赤になった拳を氷水で冷やすシーンがターニングポイントだと思っています。

血で朱くなった拳が透明であるはずの氷水を赤く染めていく演出。そこからニーマンの人格にフレッチャーが入り込み、自分の不利益であると認知した人物には容赦なく罵声を浴びせるような性格に変化していきます。

(C)2013 WHIPLASH, LLC. All Rights Reserved.

そんなこんなで互いを憎しみ合う二人ですが、実は二人の目標というか、利害は「偉大なドラマーになりたい」「偉大なドラマーを生み出したい」と一致しているんですよね。それなのに、お互いを憎しみ合っている構図が物語全体に展開されていて、目が離せないポイントなのかなと思っております。

なぜ二人とも協力できないかって?音楽とか関係なくお互いが本当に嫌いだからです。

そんなこんなで、行き過ぎたバトルの結果アンドリューとフレッチャーは大学を追い出されます。アンドリューは自分を見つめ直す時間が描かれるのですが、とあるジャズライブでフレッチャーが演奏する情報を目にし、そこでフレッチャーと再会し、あの時、バチバチにやり合っていた当時のことを話します。

「上出来だ。」この言葉はフレッチャーが恐れている言葉であり、完璧を求める彼を作り上げている言葉でもあります。

アンドリューは、その完璧が、他の「天才を潰した可能性」について言及するのですが、「本当の天才は潰れない」と言い返します。

確かに潰れない天才はマジもんの天才だと思うのですが、流石に「ファッキンテンポ!!!!!」は言い過ぎですよ。

その後、フレッチャーはフェスティバルの舞台で、ドラムのポジションにアンドリューを招待するのですがこれがまたコスい罠なんですよね、、、

最初見た時「マジで小物かよ!!」と思ってました。

普通にホラーすぎる演出でアンドリューを陥れるのですが、ここからです。

この「セッション」という映画はここからす。

※ここからは、実際にセリフはないですが僕が演者の表情から聞こえたセリフを付け加えて書いていきます。

アンドリューはフレッチャーの罠で一旦ドラマーという人生に幕を下ろそうとするのですが、舞台裏にスタンバっていた父親に慰めてもらっている途中で「いや、ドラムとかどうでもいいけど、アイツ、、、あのしわしわなピーナッツみてぇなアイツだけは絶対許さん」と心の中で吐き捨てステージに戻ります。

フレッチャーが観客に向け次の曲を説明している中、勝手にドラムを叩き演奏を始めます。

その表情はドラマーとしてではなく一個人としてお前を殺してやると言わんばかりの目でフレッチャーを睨んでいるものでした。

アンドリューは他の奏者に「合図する、キャラバンだ」と半ば強引に演奏させ、指揮者を置き去りにし、バンドの指揮をとり始めます。

それを見たフレッチャーも「殺してやる」的なことを言い、アンドリューに威嚇するのですが、「ピーナッツのくせにやってみろよ」と言い叩いたシンバルで応戦します。

そんな中、バンドの演奏が進んでいき、仕方なく指揮をとっていたであろうフレッチャーの表情がだんだん柔らかくなっていき演奏の虜になっていきます。ここはカワイイポイントですね。

やはり、鬼とは言え音楽が本当に好きなんだなというフレッチャーの人間性が初めて表に出るシーンでもあります。

完璧なタイミング、音程で奏でられるトランペット、トロンボーン、サックスそれに加え完璧なテンポのドラム。フレッチャーは演奏でとろけています。ここもカワイイポイントですね。

ノリノリで指揮をするフレッチャーも盛り上がっていく中、クライマックスで演奏を完璧に締めた!とフレッチャーが指揮をしたのですが、、

アンドリュー。この男のドラムだけは止まりませんでした。

照明が落とされていく中響くドラムの音。アンドリューを認めたフレッチャーが「何の真似だ」と問いかけるのですが「合図する」とだけ言う彼を見て

「もしかするとこれは私が求めていた『偉大』の誕生なのではないか」と思いアンドリューに期待を込めるかのように演奏本番中の中、偉大に導くために指導をしていきます。この時点で他の演奏者や、観客、鑑賞している僕たちも立ち入れない程に「ふたりの世界」が展開されます。

そんな中、アンドリューは所謂ゾーンの状態には入り、感覚が研ぎ澄まされ、聞こえているドラムの音の振動、動かしている腕の筋繊維、汗が落ちる瞬間、シャツが張り付いている不快感ですら感じ取り、叩き続けます。その姿を舞台袖から見守っていた父親には「あれは自分が知っている息子ではない」というセリフを言っていました。

アンドリューが叩いたシンバルがアンドリューについて行けなくなって倒れかけた時に、あのフレッチャーがシンバルをすかさず治し、「大丈夫、そのまま続けろ。。」と言い放ちサポートする行動は感動を通り越して昇天でした。実はここで僕もゾーンに入り、自分が哺乳類であることを忘れたように肺呼吸できなくなっていました。

フレッチャーの合図でだんだんテンポが遅くなり、終わりかけの線香花火のようなテンポになると今度は「テンポをあげろ」と言い、早くなっていくテンポをさらに加速させていくアンドリュー。そこには今まで歪み合っていたふたりの姿はなく、「偉大になりたい」「偉大を生み出したい」ただその想いだけで突き動かされているふたりの姿で、初めてお互いの目的が一致したとお互いが理解したシーンでもあります。

全体の指揮を取るために腕を広げるフレッチャー、今までの屈辱や憎しみ流した血を全て自身のパワーに変換させながら叩くアンドリュー。

ここで、約十秒間の沈黙が流れます。無音ではなく、沈黙です。

「           」

「           」

「           」

「           」

二人は分かり合えたかのように「キャラバン」完璧に仕上げ、そのまま本作は終幕を迎えます。

セッションまとめ

ここまで後味の良い、爽快感に満ち溢れた作品はないだろう!と思うんですがどうでしょうか。

実は2月は仕事が若干忙しかったと言うのもあるのですが、実はこの「セッション」をずっとリーピとして見ていました。記事の最初の方で初めて見た時も時間を忘れて何回も最後の9分19秒を繰り返し見て夢中になっていたと言うエピソードはこの話をするためだったんですが、あの頃から、やってること変わんねーなと感想を書くにあたって思った次第です。

この「セッション」と言うタイトルの意味なのですが、僕自身は、アンドリューとフレッチャーの掛け合いみたいなやり取りだと思っていて「合図する」の合図って言葉がまさしくセッションと言う意味に当てはまると思うのですが、それ以外にも、演者の表情で無いセリフが聞こえてくるなどの演者の表情、目での演技がこの作品における「セッション」ではないかと思います。

音楽は世界を平和にするなんて言葉もあるように二人を見ていると納得できますよね。

今回は約一ヶ月ぶりに記事を書いたのですが、やはり文章にするっていいですね。twitterから見てくださる人もいると思うのですがどんどん喋りかけていただけると普通に喜びます。仲良くさせていただきたいです。。照

とまぁ、こんな感じですが長くなりすぎるとアレなのでこの辺にします!

今後とも頑張っていきます!

では今回はこの辺で。。。おわりっ!!

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